千葉県芝山町・中和堂中国美術館で、中国の陶磁・書画 ≪中和堂コレクション≫を観る

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中和堂コレクションから読み取る、中国書画の話


古きをもって今を知る   ─中国の文化史を知れば日本が判る─

中国で発明された磁器と紙が文化の源

1957年、中国の西安市郊外で紀元前141年以前の紙が発見されました。しかし、文字を書くための紙ではなく、麻布などと同じく貴重品を包むのに使われました。
この頃、古代の中国では文字を書くための材料として木竹簡、絹布などを使っていましたが、木竹簡は入手は簡単でもかさばって保存に適さず、絹布は高価で大量に使うことができませんでした。

後漢時代(西暦25年〜220年)宮中長官の蔡倫(さいりん)が102年、紙に着色した書写材料に適した紙を完成させます。これが文字を書き込むという情報伝達手段としての紙、歴史上初めて「蔡侯紙(さいこうし)」といわれる紙が誕生したのです。*1

一方、釉薬を掛けて高温焼成する磁器(瓷器)が発明されたのは紀元前16世紀ころの商代と言われていますが、実用に耐える成熟した原始磁器が完成されたのは後漢(西暦25年〜220年)の頃でした。
磁器は揚子江下流域でゆっくりと発達し、唐代には喫茶の流行とともに宮廷什器にも採用され、民間需要の増大と合わせて窯業の大発展を見ました。

宋代には官窯制度の確立に伴い、皇帝や士大夫たちの先導で美術品としての磁器が確立し、20世紀初頭の清朝滅亡まで歴代皇朝を支える重要な国策産品となりました。
特に両宋代の官窯青磁は世界中の愛好家垂涎の的であり、元代に始まる景徳鎮青花磁器は世界の磁器の総本家として未だ不動の地位にあります。

紙が水墨画の根源だった
─キャンバスでは出来ない墨の滲み─

竹簡や木簡、皮や布と違って、繊維を漉いて薄く干したものを紙といいますが、紙の大きな特徴は複雑ランダムに交差している繊維の薄い層であることです。
このことは、筆で水溶性の墨汁を紙の上からなぞると、繊維の裏側や隙間に墨汁が入り込み、墨汁の濃淡や筆圧、運筆の速度や強弱の違いによって微妙に違いが出るのです。

書画一体といわれる中国伝統の書法水墨画は、墨と一本の筆によって心霊の世界を描くわけですから、この紙があったからこそ発展できたといえます。墨一色でありながら七色を表現するといわれる極地は、まさに紙の芸術といえるでしょう。

西洋の油絵やパステル画の様に滲まない絵の具の場合にはキャンバスや板、皮などでも描けますが、墨の滲む微妙な表現は紙でないと不可能でしょう。

濃淡、ぼかし、滲みなどの中国的表現は、イエスかノーで訓練された西洋社会から理解しにくい文化かも知れませんが、作者の精神的創造力を表現する手法として、著名な西洋作家たちがこぞって歴代の中国水墨画を研究したのも事実です。

水墨画や書法に絹本は邪道か?

水墨画及び書法という、中国伝統の芸術的表現手法は、宣紙と呼ばれた、特別な紙の発達と共に創案され、発展した芸術でした。

共に墨や筆、硯などの文房具の発達を促した訳ですが、我が国はじめ西欧諸国に伝わる中国書画の作品のほとんどが絹本という、絹地に描かれたものであり、不可思議な気がします。

本来、水墨で画を描き、字を書く中国の芸術的発想は、紙の繊維に水墨が滲む微妙なニュアンスに全て集約されるにも係わらず、水墨を弾いてしまう絹地を何故に使ったのか、これが謎です。

かって、米芾(べいふつ)は、誰も書けなかった絹地に字を書いた(蜀素帖)事で有名な人ですが、それぐらい絹地は水墨に向いていないのは事実です。



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